2014年09月30日

無視や軽視をすると不意をつかれることがある

'14年9月30日(火)
[池谷裕二] ブログ村キーワード

知らないことは
知らないでいい。
われわれは、何事もなく
そうやって過ごしてきた。
しかし、自然災害に
遭遇して、それで
よかったのかと、
反省することが多い。

脳には見えない相手を
下に見る癖がある、と
脳研究者池谷裕二氏は
いう。

かつてレバノンに
行ったとき、
シリアとの国境にまで
足を延ばしました。
私が訪れたのは
ローマ時代の遺跡
バールベック
です。

この遺跡で驚いたのは、
ジュピター神殿を支える
トリリトンと呼ばれる
3つの巨石
です。
エジプトやインカでも
巨石が使われましたが、
バールベックのものは
破格です。
長さは18b、高さと幅は
4b、重さは970d。
建物に使用された
切石としては世界最大です。

石切り場の岩山から
遺跡まで約1`bの距離が
あります。どのように
運んだのでしょう
か。
丸太木に載せ、綱で引く
という当時の運搬方法で
これを動かすには、
1万5千人が必要です。
そんな大人数を配置する
ことはできるのでしょうか。
仮に可能だったとしても、
運搬に耐える綱や丸太木は
存在するのでしょうか。
現代最高の土木技術でさえ、
運ぶことも積むことも
かなわないと言います。

ちなみに石切り場には
2千dの巨石

切り出され、放置されて
いました。
当時の人々も、さすがに
これは運ぶことが
できなかったのでしょう。

ほかにも
古代技術の高さに
驚かされた逸品に出会った
ことがあります。アテネ
国立考古学博物館で見た
アンティキティラ島の
 機械
」です。
発見当初は玩具かと
思われ放置されていた
歯車装置は、後に
天体運行の計算機である
ことが判明します。
うるう年や月の満ち欠け
のみならず、
惑星位置や日食月食
までが計算できる
のです。
コペルニクスの地動説
よりも1600年も遡る、
古代ギリシャの傑作です。

もっとシンプルな奇跡
としては、
コスタリカ国立博物館で
見かけた
石球」が
あります。
大小さまざまな古代の
石は、ほぼ「真球」です。
大きい物では重さ25d
どうすればこれほど
高精度に作ることが
できるのか、
何のために
使用されたのかは不明
です。

このように、時代に
そぐわない高度な出土品を
「オーパーツ」と呼びます。
私はオーパーツを見て、
古代の技術や生活に
想像を掻き立てるのが
大好きです。

しかし、あるときふと
気付きました。
オーパーツを見て感心
するのは

当時そんな技術がある
 はずがない
と古代人を
見下す
下劣な優越感が
下地にある
ことを。

彼らも、私たち現代人と
同じホモ・サピエンスです。
同じ脳を持ち、
同じように器用で、
同じように創造的だった
はずです。
自分たちより
「劣っている」と考える
根拠はありません。

かつて日本が真珠湾攻撃
仕掛けたとき、
「チビで貧乏な黄色猿が、
 大洋を越えて
 空爆できるはずがない」
と敵を見下していた、
というアメリカ側の
現場記録
が残っています。
結局、当時の反省が
生かされず
、2001年には
同時多発テロの被害
遭います。

私も学生時代、
隣のクラスは、自分の
クラスのメンバーよりも、
無個性で平凡な集団である
ように感じたものです。
外集団同質性バイアス
と呼ばれる脳のクセです。
見えない相手を
つい見下してしまう
のは
脳の本質的な傾向なのです。

そもそも「オーパーツ」
という単語が存在する
こと自体、私たちが
高所でアグラをかいている
証拠でしょう。
地域や時代を超えて
人々が理解し合うためには
自分の内面に宿った
醜怪な自尊心に

まず気付かねばなりません。
(脳研究者池谷裕二
 パテカトルの万脳薬 連載135
 見えない相手を下に見る
 脳のクセ 週刊朝日9・26)


敵を知り、己を知らば
百戦危うからず。

中国、韓国、北朝鮮、
ロシア、アメリカ。
これらの国々は
国益を守るために
常々、何をしているか。
日本の情報は
内通者を通じて正確に
把握しているであろうし、
工作員だって
送り込んでいるかも
しれない。

平和ボケの日本側に
「外集団同質性
バイアス」が働いて
いないだろうか。


参考
 パテカトル
  アステカ神話のお酒と
  薬草の神
  (記事欄外注記)

 池谷裕二
  1970年、静岡県生まれ。
  東京大学薬学部教授。
  神経の可塑性を研究する
  ことで、
  脳の健康や老化について
  探求している。
  (記事欄外注記)
posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 | Comment(0) | TrackBack(0) | 生き方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月29日

敬語が必要だという若い人は100%、文化庁の世論調査

'14年9月29日(月)
[敬語] ブログ村キーワード

孫の口から
敬語を聞いたことがない。
このまま成長して、
世に出たらと
そのころ、この世にいない
身でありながら、
気になっている。

この度、文化庁から
公表された
世論調査の結果で
敬語についての興味深い
回答が紹介されていた。
以下、新聞記事から・・・。


若い世代では、
相手や場面の違いに応じて
良好な人間関係を築こうと
する傾向が強い
−。

文化庁が公表した
平成25年度
「国語に関する世論調査」
の結果は、このような
若者像を鮮明に浮かび上が
らせた。

今後とも敬語は必要だと
 思うか
」と尋ねたところ、
ある程度を含めて
「必要だと思う」と
答えた人は、16歳以上の
全体で98%
に上った。
際立つのは
10歳20歳代でともに
100%
となったことだ。

敬語は、相手や周囲の人
との関係に配慮した表現
であり、円滑な
コミュニケーションと
豊かな人間関係の構築には
不可欠のものである。
若い世代で敬語の重要性が
広く認識されている
ことは、
極めて健全で、
日本語の将来にとっても
頼もしい限りだ。

そんな若者の心情は
「人と接する際、相手や
 場面に合わせて態度を
 変えようとする方か
」と
問われた回答にも表れて
いる。
変えようとする方だ」と
答えた人は、60歳代の
約28%などに対し

20歳代では約69%にも
達した。

職場などで目上に気を使う
ケースが多いといった事情も
反映しているのだろう。
もちろん人間関係に
神経をすり減らすような
ことになってはならないが、
相手との摩擦を避け
協調性を保とうとする
若者のけなげな姿

思われて、
声援を送りたくなる。

敬語を身に付けた機会
では、「職場の研修など
家庭でのしつけ」に
次いで
学校の国語の授業」が
上位に挙がった。
文化審議会の
「敬語の指針」(平成19年)
でも、学校で敬語の学習・
指導を継続的に行う必要性に
言及しており、
教育現場が青少年にとって
敬語の経験的実践的な場に
なるよう

一層の工夫を求めたい。

今回の調査では、「きょどる」
(挙動不審な態度をする)、
「ディスる」
(けなす、否定する)などの
言い方が若年層に浸透して
いる実態も明らかになった。
名詞などに「る」を付けた
言葉は古文献にも見られ、
「皮肉る、牛耳る、サボる」
などのように日常語として
定着しているものも少なくない
ことから、一概に
使用の是非を言うことはでき
ないだろう。

ただ、この種の言葉は
世代間で理解に隔たりがある
ことも多く、十分に注意して
使うことが大切である。
敬語と同様で、言葉を交わす
際には常に、相手への気配りを
忘れないことが肝要だ。
(msn産経ニュース9/28 05:01)
(主張 国語世論調査
 若者の敬語観に感心した
 産経新聞9/28 2(総合)面) 


若い人ほど
敬語の重要性を認識して
いるらしい。
そうであれば答えは簡単。

学校で教えれば済む。

敬語が必要ということは
自分は社会の歯車で
敬語はその潤滑油であると
いう認識であろう。
若者が健全なのは嬉しい。

関連ブログ
人に会ったとき真心が足らないと敬語を間違う 
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2014年09月28日

新たな蒙古の襲来、今度は「逸ノ城」という大相撲の怪物

'14年9月28日(日)
[大相撲] ブログ村キーワード

「やると決めれば
 思いきり…
最速金星の逸ノ城、
大胆さと冷静さ


立ち合い、変化。
新入幕力士の大胆不敵な
策略に横綱(鶴竜)が
はまった。

初土俵から5場所目で
史上最速金星を手にした
逸ノ城は言う。
「きょうの朝から決めていた。
 場所前の稽古で
 全然勝てる気が
 しなかったから

 何もしないよりは良い」

もし、相手が落ちなければ。
「左上手をとって、
 自分の形をつくれるの
 ではないかと思って」。
だから左に動いた。
迷わず、豪快に。
心の中は落ち着いていた。
初の結び、初の横綱挑戦
とは思えないほど。

2日前の稀勢の里と
同じように

挑戦を受けて立つべき
地位に就く鶴竜は
突っ込んできた

頭を押さえつけ、ぶざまに
両手を付かせた。

格上に勝つために
知恵を絞ることを一方的に
批判はできない。
だが、192a199`
大器が横綱相手にどんな
大相撲を取るのかと、
待ち望んだファンの興味を
そいだことは事実だろう。

本人も手放しで喜べない
ことを理解し、
本当はダメ
 でもやると決めれば、
 思い切りやろうと思った」
と複雑な心境を明かした。
(藤原翔)
(msn産経ニュース9/26 23:22抜粋)


他のモンゴル出身力士が
「あんなに大きな
 モンゴル人は、
 見たことがない」と言う
ほど体格に恵まれている
首都ウランバートルから
遠く離れた
地域に生まれた遊牧民

子供の頃に移動式住居
ゲルで寝ていると、
オオカミが近づいてきた

こともあるという。
(讀賣新聞9/27 
 38(社会)面抜粋)


この新入幕力士は、
心臓の強さも相当のものだ。
初の横綱戦。
誰もが緊張する
結びの一番で、逸ノ城が
ためらいなく左に飛び、
初金星を手にした。
しかも
「最初から決めていた」
と涼しい顔で言うから
恐れ入る。

鶴竜には場所前の
出稽古で胸を借り、
歯が立たなかった。
支度部屋で
「全然相手にならなかった
 から、思い切って
 やってみようと思った」
と、報道陣の前で秘策を
打ち明けた。
この日の朝稽古後には、
「後ろに下がって
 負けるより、
 前に出て
 負けたほうがいい」と
真っ向勝負の決意を
語っていたが、それも
伏線だったと
思えるほどの度胸の良さを
見せた。

白鵬との直接対決に向け、
「なんか夢の世界に来た
 みたい」と話す逸ノ城
だが、今度はどんな策を
練って望むのだろうか。
(上村邦之)
(讀賣新聞9/27
 25(スポーツ)面抜粋)


逸ノ城は体重があるので、
対戦相手にしてみれば
自分有利な体勢に
持ち込もうと
軍配が返れば、一目散に
飛び込んでくる。
逸ノ城にしてみれば
上背もあって懐が深いので
はたき込みは、効果的な
決め技になる。

大柄な力士には珍しく
差し身がうまく、
容易に相手十分には
させない。

体が柔らかいので
相手の力をまともに
受けないでかわしている。

14日目の対戦相手の
白鵬だが、
身長は同じ192aなので
上から
はたき落とすのは難い

それに、立ち会いでは
十分腰を下ろすが上半身は
ほぼ立っている


直接対決は横綱白鵬
27日、31度目の優勝を
目指す横綱白鵬と、
初土俵から
5場所目の新入幕で
快進撃を続ける逸ノ城が
直接対決し、白鵬が
(上手出し投げ)で勝った。
(msn産経ニュース9/27 18:00)

取組後のインタビューで
負けた相手が
横綱白鵬でも
悔し涙を拭っていた
負けず嫌いが
頼もしい。

相撲の極意は
「(相手が)押さば、
 (こちらも)押せ。
 (相手が)引かば、
 (こちらは)押せ」
であって、
前に出る相撲を会得
するのが、
強くなるための条件。

逸ノ城は往年の名横綱
大鵬をさらに大柄にした
逸材で、前途への期待は
計り知れないほど大きい。

それにしても、
モンゴル勢の活躍が
めざましく、
さながら、ひさしを貸した
つもりの大相撲が、
相撲協会の母屋まで
使ってもらっているようで
いささか寂しい感じが
しないでもない。
posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月27日

声なき声が無視された韓国世論、舞の海さんの体験から

'14年9月27日(土)
[世論] ブログ村キーワード

【舞の海の相撲“俵”論】
世論に埋もれる
声なき声


いま国技館がわいている。
新大関やモンゴルの
若き大器がおり、遠藤人気も
ある。なにより土俵際で
もつれる相撲は面白い。
だが、ほんの数年前まで
角界は存続の危機にあると
言われていた。

2011年2月、八百長問題が
発覚。
「ファンの理解を
 得られない」として、
日本相撲協会は
翌月の春場所を中止した。
開催反対派の声の大きさに
不祥事と本場所開催は別
というかぼそい声は埋もれて
しまった

夏場所は技量審査場所となり、
NHKによる中継も行われな
かった。

同じ頃、東日本大震災が起き、
5月に報道番組の取材で
宮城県の被災地を訪れた。
そこで、避難所を
とりまとめている男性に
かけられた言葉が忘れられ
ない。

避難している体育館には
小さなテレビが1台。
画面にはドラマが映っていた。
年を取ると
 耳が遠くなる
から、
 ドラマを見ていても
 内容がよくわからない。
 こんなときこそ相撲を
 やってほしい
のです。
 舞の海さん、お願い
 しますよ」

特に地方で大相撲は2カ月に
1度行われる季節の風物詩と
なっている。
熱狂的に誰かを応援するの
ではなく、
家事の合間に何げなく
テレビをつけ、中継を見る。
不祥事に腹を立てている人
ばかりではなかった


引退して間もない頃、韓国・
ソウル郊外の山里
で、
サムゲタン(参鶏湯)
食べるテレビのロケ
があった。
出迎えてくれた老母は感激
して、初対面の私を抱き
しめてくれた。
「あなたたちは私の息子だ。
 よく来てくれた」と
流暢な日本語で話し、
「故郷」や「旅愁」などの
唱歌を何曲も口ずさんで
くれる。

聞くと、日本統治時代に
本土からやってきた校長に
習った
という。
「素晴らしい先生で
 恩を感じているのです」
という。韓国の田舎で、
日本人と韓国人との間に
生まれた縁に心が温まった。

ところが、テレビ局の
ディレクターは
「すみません、日本語で
 話さないでください

という。理由は
「日本が植民地化していた
 当時を視聴者に
 思い起こさせてしまう
 から
」らしい。
何とあさましい了見か。
ありのままの姿を伝えるべき、
と思った私は
その場をこらえて、
打ち上げの席で猛抗議し、
楽しい夕食の場を台無しに
してしまった。

そういえば中学時代、
社会科の授業で
日本軍が朝鮮半島で
 人さらいをした
」という
話を何度も聞かされた。

そういう歴史を
信じて疑わない子供が
教師となり、
また子供たちに教えていく

他国からだけではなく、
内側からもせっせと
わが国をむしばんでいく
のように。

世の中をふわふわと漂う
世論をかきわけ、
谷底に沈んでいる
声なき声にこそ耳を傾けて
いきたい。
(元小結 舞の海秀平)
(msn産経ニュース
 9/25 11:57 抜粋)

posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 憂国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月26日

イラストレーター山藤章二さんから聞いた老いの極意

'14年9月26日(金)
[山藤章二] ブログ村キーワード

徒然草
(第百五十五段の結び)には
「おきのひがた
 遥かなれども、
 磯よりしほの
 みつるが如し」と
死期について書かれて
いる。

沖を見ていても
満ち潮は分からないが
磯では潮位が
上がっているように
知らないうちに
死は背後から近づいて
きているというのだ。

そのうちに、
死神に背後から
「三途の川の渡し舟に
 乗る準備はいいか」
と肩を叩かれそうな
気がしている。

イラストレーターの
山藤章二さんは、
さらに3つほど年上。
敬老の日の特集記事に
老いの極意などを述べて
おられた。



「会社四季報」に倣って
「人間四季報」とでもいう
ものがあるとすれば、

春  0歳から20歳
生まれて教育を受けて、
世の中に出るための
準備期間。

夏 20歳から65歳
 充実期。結婚、家庭作り。
 社会の一員として
 自分を創り職と出会う
 隆盛期。

秋 65歳から75歳
 職を離れ自由人となる。
 老いは始まるが、
 無駄な葉を落として
 身軽になる時期。

冬 75歳から
 冬眠に入るため
 自然に哲学的になる。
 思考と体力のズレに
 誰もが戸惑う。
 自分の歴史を振り返る。

―――となると思います。

私が老いを考えるように
なったのは

運転免許を返上した
後期高齢者である75歳の
ころから
でした。
「ブラック・アングル」で
毎週ニュースの顔を
描いている身としては、
よかったかどうか疑問
ですが、
日々のニュースよりも
哲学的な思考に興味

持ち始めました。

誰でも老いは始まる。
それを自然のことと悟る
ことが大切
だと思います。
誰もが「自分流の法則」を
見つけるなどの生き方を
探ることが必要です。

山藤流の「老いの五徳」を
作ったので声を出して
読んでいただきたい。

山藤流老いの五徳
一、バーを低くする。
 昨日まで出来たことが
 今日出来なくなる。
 これ自然の摂理。
 出来ないと言うことは、
 しないでよろしいが
 天の声。
一、老化を恥と思わない
 モウロウ、アバウトは
 老いてはじめて知る
 新境地、と思うこと。
一、にわか哲学者になれる。
 過去に身に付いた価値観や
 美学を“己の哲学”と思う。
 若者を憧れさせる威厳と
 自信。
一、世の中に思い切って
 甘える

 どうせ多くは期待されて
 いないのだから、
 敬老精神にのっかって
 楽をする。
 図々しくなれ。
一、枯れた美に自信をもつ。
 日本人にはその美意識が
 ある。
 “枯山水”庭園の美は
 外国人をも魅了する美
 である。

若いときに比べると
体力も落ちてくるのだから
満足のバーを下げるのは
当然。
若いころの食欲性欲モノ欲
から解き放ってやる。

記憶力が落ちるのは
当たり前のこと。
記憶違いやアバウトは
老人の特権
です。

これまでの長い経験を
踏まえて、時代や若い人に
合わせない。
自分の価値観美学を
押し通す
。若者は
憧れるに決まっている。

世の中に甘えても、
年寄りだからと大目に
見てくれる、と思い込む。
敬老精神は
残っているはずだ。

これまで精いっぱい
賢さで頑張ってきたの
だから「枯山水」に
自信をもって愚かに
生きていい
、と思う。

最後に
山藤流「老人五徳」を
あげておく。
一、老いてますます盛んは
 不自然。
一、アンチエイジングは
 無駄な抵抗
一、話のわかる老人、は
 妥協の産物、
一、きれいな老人、は
 自己陶酔。
一、頭の柔らかい老人は、
 中途半端。

理想的な老人とは仙人
である。ただし
千人に一人しかなれない
から、999人は諦めるべし。
イラストレーター
 山藤章二(77)
 達人に聞く老いの極意
 満足のバーを低くする・・・
 山藤流「老いの五徳」
 週刊朝日9・26号)


できる範囲では
甘えない、ということ
であろう。

第一甘えさせてくれ
そうな人が周囲に
見当たらない。
posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 生き方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする