2012年05月23日

物真似ではなく、とことん悩んだら行動に移す鶴太郎氏

'12年5月23日(水)
[片岡鶴太郎] ブログ村キーワード

NHK連続テレビ小説
「梅ちゃん先生」に
隣人の安岡幸吉役で
でている
片岡鶴太郎氏。
激やせが気になるが、
自分を表現するという
ことでは、
画家としての被画体の
描き方が
役者としての役柄の
演じ方に生かされて
いるに違いない。

幾つものことを
とことん悩み、それらを
実行に移してきた
鶴太郎氏の生き方に
興味がある。

(鶴太郎氏談)
20代後半のぼくは、
ぽっちゃりしていました。

でも、このキャラクターを
引きずっていたら、
本格的なドラマはできない。
体を引き締めよう。
そう考えて、
ボクシングを始めることに
しました。

どうせやるなら、
プロになりたいとも思い
ました。
ぼくは当時、32歳。
プロのライセンスが
得られるのは33歳まで。
あと1年しかない。

決めたら、迷いはいっさい
なくなりました。
食事のメニューを
翌日から一変し、ジムにも
通い始めました。
なにしろ5、6年かけて
太った体を
1年で絞らないといけないし、
プロテストにも1年以内に
合格しないといけない。

ぼくはこれらのことを
誰にも相談しないで
決めました。
実際、事務所の社長には
「スケジュールは
 2年先まで埋まって
 いるんだよ。
 鶴ちゃんはポチャッと
 しているからいいんだよ。
 筋肉質になったら、
 仕事、なくなるかも
 しれないよ」などと
言われました。

でも、一人の人間として
魂が納得できる生き方」を
したいと思った。

30代はドラマや映画の
仕事がとても楽しかった。
でも、40歳になる直前、
後半生をどう生きるべきか、
しっかりと腹を据えないと
いけないと思うように
なりました。

芸能界の仕事は浮き沈みが
ある。
売れなくなることも、
仕事がなくなることもある。
そうしたことに左右されない
軸のようなものを持って、
いつでも、誰にでも、
穏やかに接することが
できるようになりたい。

それで、先輩方に
「40代って、どうですか」
と聞いて回りました。

でも、腹にストンと落ちる
答えは得られなかった。

と、そんなことを考えて
いた2月の朝5時。
隣の家の玄関先に赤い花が
咲いているのが目に止まり
ました。
花は凛と咲いて
自分の生を全うしている
生きるとは、こういうこと
じゃないのか。

この花はツバキでした。
ツバキを描けるようになり
たい。
花を描ける人、絵を描ける
人、そして、自分が受けた
感動を伝えられる人
になり
たい。
ぼくが絵を描き始めたのは
その一心からでした。

くよくよ悩むのは、全然
構わない。
悩むのはよい方向へ変わ
れるチャンスだと思うから。

でも、悩みをいつまでも
引きずってはいけない

とことん悩んだら行動に
移す

これだと思ったら、
突き進んで、掘り下げる。
道はその先に
きっとひらけていくんじゃ
ないかな。
(取材・文 平出 浩
 俳優・画家片岡鶴太郎 
 迷って迷って今がある
 PHPNo.768'12/5抜粋)


鶴太郎は"声帯模写"の
片岡鶴八に弟子入りし、
物真似修業をした。
何でも納得するまでという
生き方の基本姿勢は
この物真似修業で
培われたものであろう。


参考
(鶴太郎)
 物真似レパートリー(例)
  井上陽水
  具志堅用高
  郷ひろみ
  小林旭
  近藤正臣
  近藤真彦
  坂上二郎
  千昌夫
  橘家圓蔵
  山本晋也
  (Wikipedia)
posted by (雑)学者 at 00:04| 千葉 雨| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月22日

うれし涙の旭天鵬が千秋楽の不手際から大相撲を救った

'12年5月22日(火)
[大相撲] ブログ村キーワード

平幕旭天鵬の優勝
大相撲夏場所は20日、
両国国技館で千秋楽を迎え、
西前頭7枚目の旭天鵬
(本名太田勝、モンゴル
 出身、友綱部屋)が
12勝3敗で並んだ
栃煌山との優勝決定戦を
制し、最年長の37歳
8か月で初優勝を遂げた。
平幕力士の優勝は、
2001年秋場所の琴光喜以来
となった。

横綱、大関が不振だった
今場所、旭天鵬は本割で
関脇豪栄道を破り、
6日目から10連勝を飾った。
琴欧州の休場による
不戦勝ちで3敗に残った
栃煌山と、
史上初となる平幕同士の
決定戦にもつれ込んだが、
落ち着いて、はたき込んだ。

旭天鵬は、モンゴルから
来日して21年目。
2005年に日本に帰化した。
(讀賣新聞5/21 1面)

旭天鵬のプロフィール
17歳で来日して21年目。
「日本での生活の方が
 長くなったし、
 夢も日本語で見るんだよ」。
親しい後援者の影響で
関西弁が交じる日本語には
よどみがない。
だが、葛藤もあった。
2005年に日本国籍を取得し、
翌年には日本人女性と結婚
した。
将来、親方となるための
選択だったが、母親からは
「国を捨てるのか」との
批判も受けた。

でも迷いはなかった。
自分を育ててくれた
大好きな相撲と日本に
恩返しをしたかった。
「ふるさとは大事だけど、
 将来弟子を育てる夢も
 あった」と語る。

20歳代とも言われる
肉体年齢を保つ秘訣を問わ
れると、
「何もしてないよ。
 暴飲暴食だし、焼き肉が
 大好き」と豪快に笑う。
四股やテッポウなど地道な
稽古で鍛え上げた各界の
鉄人の目標は、40歳まで
現役を続けること。
(顔 同紙2(総合)面抜粋)

栃煌山あわや不戦勝優勝
琴欧州の休場がアナウンス
されると、場内は騒然と
なった。
土俵下の鏡山審判部長
(元関脇多賀竜)は
「不戦勝のブーイングは
 すごかったな」と振り
返った。
勝ち名乗りを受けた栃煌山も
「何とも言えない雰囲気
 だった」と話した。
(日刊スポーツ5/21 1面抜粋)

14日目まで3敗の3人の
うち、
旭天鵬は関脇豪栄道に、
栃煌山は大関琴欧州に
それぞれ勝ったが、
稀勢の里は把瑠都に敗れた。
もしも番付通り、豪栄道が
旭天鵬に勝っていたら、
栃煌山は取組の作り直しが
間に合わなかったこと
による不戦勝の勝ち星で
優勝したことになる。

そもそも今場所の混乱の
予兆は白鵬の初日の敗戦
にあった。
posted by (雑)学者 at 00:23| 千葉 曇り| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月21日

石原氏などが中央集権の打破こそが官僚支配の改善と

'12年5月21日(月)
[官僚] ブログ村キーワード

石原慎太郎氏が書いた
エッセイをまとめて
本にした「日本よ」と
題する文庫本(扶桑社)が
ある。

石原氏はこの本の後記で
下手をすると国家民族の
歴史を失いかねないと
憂いている。

そして、産経新聞に
同じ「日本よ」と
題するエッセイを載せて
いた。

どちらの心も同じだと
思う。


当節いろいろ揣摩臆測
(しまおくそく)されているが
東京、大阪、名古屋、
東の首都圏、
大阪を芯にした関西圏
そして中京圏と、
この三大都市圏が連帯して
行おうとしているのは
中央集権の打破

国家の官僚の独善による
国家支配の改善に
他ならない。

私は決して国家官僚の
存在を否定するものでは
ない。
明治維新の中で
秀でた英傑だった大久保
利通が確立した官僚制度は
日本が近代国家として
進むための絶対必要条件で
あったことは自明である。
しかしそれが行政の主体者
として
自らを絶対化してしまうと

国家の舵(かじ)取りは
硬直し、進路を過ちかね
ない


私が閣僚を務めた時
いつも彼等自身から
聞かされた
彼等の美点? なるものは、
継続性
(コンティニュイティ)と
一貫性
(コンシステンシー)
ということだったが、
変化の激しいこの現代に、
そんな姿勢で
変化に対応できる訳が
ない。
エリート意識で身を固め
中央でふんぞり返り
地方の現場には精通せず、
すでに陳腐な方法論で
地方を支配してきた
中央集権体制が
この国に大きな歪みを
作ってしまったのだ。
(略)
土台、
全国知事会なるものの
知事の顔ぶれを見れば
その六割以上が
中央官庁出身で、
何か国に先んじての
提案を決めはしても
最後は出身してきた
古巣の役所の意向を
(ただ)し、
役所は予算を握って居る
財務省の顔をうかがって
大方は無視されて終わる。

そうした基本的実態が
ある限り
いつまでたっても
地方の意見は
中央に届きにくく、
地方分権だの、
まして地方主権なんぞは
絵空事でしかありはしない。
それぞれ
地方に選挙区を構える
政治家たちも、
国会をあやつる中央官僚に
頭をなでられるままで、
私はそんな自民党に
愛想をつかして脱退したが、
官僚にまかせず
政治家の主体で行う政治を
唱えて政権をとった
民主党は無能の域を出ず
今の体たらくだ。

日本の政治の健全化の
ためには
多少の意見の相違は
あっても、
地方が強い連帯を組む
ことからしか
日本の改革は始まりは
しない

明治維新を行った
反幕府の諸藩、薩摩、
長州、佐賀、土佐といった
藩の間にさまざま
唱えるところの違いが
いかにあったかを
思い起こして見るがいい。
しかるになお、
それを超えることだ。
幕府の統治という基本体制を
破壊することで
あの維新はなりたったでは
ないか。
(石原慎太郎 日本よ
 産経新聞 5/14 1、2面抜粋)


参考
 揣摩臆測
  揣摩=当て推量
  憶測=当て推量
 土台(副詞)
  もともと、始めから
   (広辞苑)
posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月20日

外国はその国の中から見ないと分からないことだらけ

'12年5月20日(木)
[外交] ブログ村キーワード

日本外交は下手だ、と
言われるが、
どちらかと言えば
相手国を外側からしか
みていないのでは
ないだろうか。

例えば、アメリカに住む
フリーランサーが語る
"アメリカの文化"には
驚かされる。


以前、日本に帰国した
ときのこと。
アメリカの友人が天丼に
挑戦したいとのことで
案内しました。
お店に入る前に
サンプルを見せ、
どんな料理か説明して、
いざ店内へ。
けれど友人は、天ぷらよりも
天丼にかかるタレの方が
恐怖だったようです。

「タレを別にして
 もらえるか聞いてみて」
と頼まれ、
そういった要望を
あまりしたことがない
私でしたが、
戸惑いつつも一応聞いて
みました。
そのときは断られて、
「まぁ仕方がないか・・・」で
終わり、さして気にも
留めませんでした。
しかし、
その後続くアメリカ生活
から、自分の要望を
しっかり主張する
アメリカ文化を実感する
こととなったのです。

アメリカでは
「私はアレルギーがある
 から、ドレッシングは
 別にして」とか
「苦手だからタマネギは
 入れないで」など、
みなさんよく要望を伝えます。
時には
「サーモンを別の魚に
 変えてほしい」
なんてリクエストまで
するほど。
さすがにこれは無理と
断られることもありますが、
時々「OK」なんて返事が
来るので驚いてしまいます。
しかも、
宗教やベジタリアンに
応じたメニューが
用意されていたりと、
対応も幅広いのです。

さまざまな人種や文化が
集まるアメリカでは、
自分と相手の意見や価値観が
必ずしも同じとは限らず、
まったく正反対ということも
多くあります。
多様な文化に合わせて
日本よりも自由なことが
多い半面、
個人の責任は重く、
自分の意見を
はっきり言わないと
損をしてしまうことも
あるのです。

そんなアメリカに抱いた
私の印象は「言うが勝ち」。
たとえダメでも、
思ったことはとりあえず
言ってみます

そして断られたときも
比較的気にせず、
素直に受け入れる
ところも
アメリカらしいですね。
あなたもアメリカの
レストランを訪れたときは、
リクエストしてみて
くださいね。
(伊藤 恵 アメリカ人は
 主張上手 自分の要望は
 「言うが勝ち」・・・?
 ESPRIT CLUB 26
 '12 May - June)


参考
 ドレッシングは別にできますか?
  May I have the dressing
  on the side, please?
        (同記事)
posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月19日

ダルくもないのに力を抜いた投球、ダルビッシュ6勝

'12年5月19日(土)
[ダルビッシュ] ブログ村キーワード

トップタイの6勝
米大リーグは16日、
各地で行われ、
レンジャーズのダルビッ
シュはアスレチクス戦で
7回2/3を4安打1失点、
7奪三振の好投で、
両リーグトップに並ぶ
6勝目(1敗)を挙げた。

味方が逆転し、試合が
中盤に差し掛かった頃、
ダルビッシュが突然、
変身した。
それまでより明らかに
力を抜いて、
リラックスしたフォームで
投げ始めたのだ。

これには理由があった。

大リーグ8度目のマウンド。
相手は当然ながら、
ビデオで投球フォームを
チェックし、研究してくる。
それならば・・・・・・と。

キャッチボールの延長の
ようなフォーム。
これまでの試合で
早いカウントであまり使わ
なかったチェンジアップで
ストライクを取り、
決め球にカーブを使って
いたところで
直球勝負で空振り三振を
奪った。
初回に犠飛で失点した後は
8回途中までゼロを並べ、
「打者から投球フォームや
 イメージが違うように
 みえるような、そういう
 視点で投げた。
 打者が分からなくなった
 ところはあると思う」。

打者や打線、試合の状況で
投球を変えるだけでなく、
時にはフォームまでガラリと
変えて、まるで別の投手の
ように変身する

この変化こそ、ダルビッシュの
真骨頂である。
(讀賣新聞5/18 
 23(スポーツ)面抜粋)

 
解説
ダルビッシュが持つ、瞬時、
有事の高い適応力を証明する
投球だった。
低い重心移動で、下半身から
上半身へ力を連動させ
爆発的な力を生みだすのが
基本スタイルだが、
この日は違った。
通常よりステップが狭く、
上体の力、器用な指先を
含めた技術を頼りにした
投法だった。

大きくモデルチェンジした
ことは、過去に2度ある。
いずれも故障、負傷による
「応急措置」だった。
(中略)
その2度のケースから、
登板前あるいはマウンドに
上がってから、
何らかのコンディション
不良があった可能性はある。
だが、ダルビッシュの言葉
通り、相手球団、打者対策
ならば
メジャーで戦い抜くために
見いだした、
新しい手法なのだろう。
(高山通史記者
 日刊スポーツ5/18 1面)


米国では
ダルビッシュといえども
速球1本では押せないの
かもしれない。
古巣日ハムの斎藤佑樹投手は
相手バッターの打ち気を
感じたときは、かわす投球を
するという。

勝ち星を増やすためには
幅広く多様な攻め方ができる
ことが条件となるのであろう。

posted by (雑)学者 at 00:11| 千葉 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする