2017年07月26日

歴史の娘といわれた不屈の人、犬養道子さん逝く

'17年7月26日(水)    
[犬養道子] ブログ村キーワード

11歳の少女は
日記に書いている。
<五月十四日土曜日、晴。
 ママと康ちゃん(弟)と
 一緒に銀座の
 コロンバンに行った。
 干葡萄の入ったお菓子を
 買った。あしたの晩、
 みんなで
 お祖父(じい)ちゃまに
 おいしい洋食をさし上げる
 予定だからです>
◆干葡萄のお菓子は
どうなったのだろう。
翌日の記述は1行しかない。
<五月十五日。
 お祖父ちゃま御死去>。
犬養毅(つよし)首相が
暗殺された1932年
(昭和7年)の
「五・一五事件」である
◆総理大臣の権力も、
死に対しては何の力も
持ち得ない。
限界のないもの、
絶対不変のものを求めて、
少女はクリスチャンに
なった。
評論家の犬養道子さんで
ある
◆20歳のとき、父・
(たける)氏がソ連の
謀略活動「ゾルゲ事件」に
関与した疑いで逮捕された。
特高警察が家宅捜索に来る
直前、母親が書斎の書類を
釜の底に入れ、
コメをぶち込むや、
飯を炊くのを犬養さんは
見ている。
難民の支援活動などで見せた
不屈の意志は、
昭和史が家族に見舞った
不幸の中で育まれたのだろう
◆犬養さんが96歳で
亡くなった。
誰が名づけたのか、
その呼び名がこれほど
似つかわしい人もいない。
<歴史の娘>という。
(編集手帳 讀賣新聞7/25)

(前略)
祖父・毅について
「将校たちにでなく、
 時代に殺された」と
振り返り、
「私が戦うべきは
 国粋主義」と
自国中心主義からの
脱却を訴えた。
祖父の死が遠因となって
クリスチャンとなり。
「旧約聖書物語」などの
ロングセラーのほか、
2003年に完結した
ライフワーク
「聖書を旅する」
(全10巻)では聖書の
現代的意味を国際政治、
文学、哲学など
多方面から探求。
環境保護を訴える
「緑の木一本運動」なども
提唱した。

1970年の自伝的長編
「花々と星々と」は
テレビドラマ化もされ、
話題に。
緒方貞子・元国連難民
高等弁務官とは親戚関係。
実弟の犬養康彦氏(故人)は
共同通信社元社長。
(同紙34(社会)面)

参考
 ゾルゲ事件
  リヒャルト・ゾルゲを
  頂点とするソ連の
  スパイ組織が日本国内で
  諜報活動および謀略活動を
  行っていたとして、
  1941年9月から1942年4月に
  かけてその構成員が逮捕
  された事件(Wikipedia)


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2017年07月25日

阿久悠さんのように作曲家平尾昌晃さんはジャンルなし

'17年7月25日(火)
[平尾昌晃] ブログ村キーワード

「海坂(うなさか)藩」と
いえば、藤沢周平さんの
時代小説のファンなら
おなじみの架空の藩である。
藤沢さんが20代の後半に
俳句を投稿していた、
俳誌の名前から借用した

▼当時藤沢さんは肺結核の
ため、中学校の教師を
休職して入院中である。
婦長に付け届けをするよう、
患者仲間に助言されるなど、
世間知らずの教師にとって
驚きの連続だった。
藤沢さんは入院生活を
「私の大学」と呼んだ。
それがなかったら
「小説を書けたかどうかは
 甚だ疑わしい」と
振り返っている(『半生の記』)

▼先週末に79歳で
亡くなった平尾昌晃さんは、
ロカビリー歌手として
一世を風靡(ふうび)した後、
作曲家に転身する。
30歳になって、肺結核が
悪化した。
長野県岡谷市の
塩嶺(えんれい)病院での
1年間の入院生活は、
平尾さんにとっても
「私の大学」となった

▼寂しがり屋の平尾さんに、
病院関係者は進んで
話し相手となり、地元住民は
野沢菜漬などを差し入れた。
信州の人たちの人情に触れて、
平尾さんの音楽に変化が
表れる。
ポップス系の歌ばかり
作っていたのが、
「日本の心」を強く意識
するようになった。
退院後まもなく作曲したのが、
小柳ルミ子さんのデビュー曲
「わたしの城下町」である。
よく散歩した諏訪湖畔から
見える高島城をイメージした
という

▼もう一つ、入院生活を
きっかけに取り組んだのが
福祉活動だった。
看護のありがたみを痛感
したからだ。
昭和50年から、歌手や
プロゴルファーに呼びかけて
始めた
「チャリティゴルフ」は
38回を数え、寄付金の
トータルは3億円にのぼる

▼塩嶺病院はなくなったが、
その流れをくむ
看護専門学校の校歌を
2年前に作っている。
♪心ひとつ みんなのために
 未来のために。
平尾さんの曲作りと人生
そのものである。
(産経抄 産経新聞7/24)

参考
YouTube-岡谷市看護専門学校校歌「未来に向かって」発表会 平尾昌晃氏指揮 

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2017年07月24日

孤高の人となった白鵬はまだ伸びしろのある横綱である

'17年7月24日(月)
[横綱] ブログ村キーワード

作家の吉川英治は
横綱双葉山と親交があった。
座を共にした酒宴で、
黙然と杯をなめる横綱に
想を得た句がある。
<江戸中で一人さみしき
 勝角力(かちずもう)>。
歴代最多の69連勝を誇るなど
「角聖」と呼ばれた人も、
横顔に差す孤影の色は
深かったのだろう

▼平成の横綱白鵬も、
孤独な日々によって
磨かれた人である。
入門時の線は細く、
稽古場で兄弟子に
はね飛ばされ、使い走りに
こき使われた。
父はモンゴル相撲の元横綱、
血を引く自分が無名のまま
朽ちては家名に傷がつく。
「父の立場を考えると、
 帰れなかった」

▼まだ三役だった頃、
白鵬青年の漏らした懐旧譚
(たん)が手元の取材メモに
ある。
いま思えば、その背中は
多くのものを背負うように
できていたのだろう。
平成23年の八百長問題で
地に落ちた相撲人気を
立て直し、自らが高い壁と
なって稀勢の里ら後進の
横綱を育てもした

▼白鵬の私淑する双葉山が
自著に書いている。
「追い越そうとする
 努力よりも、
 追い越されまいとする
 努力の方が、
 はるかに難しい」。
どれほど強い力士も
1日に1勝しかできない。
白鵬の到達した
史上1位の勝利数が
教えるのは、
日々刻み続ける一歩の
重みだろう

▼失礼を承知で言えば、
横綱にそぐわぬ立ち合いの
張り差しや興趣を削(そ)
感情むき出しの張り手は、
この先の土俵には
必要あるまい。
日本に帰化する意向
とも聞く。
部屋を構え、
弟子を育てる日もやがて
来よう。
正しい相撲道の伝承者と
なることを願うばかり
である

▼1千勝を挙げた日、
次の目標を問う声に
「まずは1001勝」と答え、
史上1位に立った日も
「相撲は奥が深い」と
嘆息した横綱だった。
世の賛辞に
浮き立つことなく
次の一歩を踏みしめて
いよう。
道は足下にあり。
双葉山が好んだ言葉
である。
(産経抄 産経ニュース7/23 05:03)
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2017年07月23日

相撲の奥は深い、白鵬の母はもっと先を見ている

'17年7月23日(日)    
[白鵬] ブログ村キーワード

元関脇北勝力
(ほくとうりき)
いまの谷川親方は
「勝てば賜杯」の一番に
負けた。2004年夏場所。
相手は当時19歳、
新入幕の白鵬である。
二度の“待った”で
じらされ、立ち合いの
変化にしてやられた
◆谷川親方に後日談を
うかがったことがある。
その一番から4年後、
2008年のモンゴル巡業で
見知らぬ婦人に
声をかけられた。
「あの相撲は
 あなたが勝っていました。
 ごめんなさい」。
白鵬関の母タミルさん
だった
◆4年前の息子の取り口を
恥じ、覚えていて相手に
謝る。
何とまあ、すごいお母様
だろう。
「越権行為ですね。
 でも、おふくろは
 ありがたい」。
伝え聞いた白鵬関は苦笑い
したという
◆きのう(21日)の
「スポーツ報知」で
タミルさんの手記を読んだ。
帰化する道を息子が選ぶ
のなら、その意思を尊重
する。なぜなら、
ここまで成長させてもらい、
<息子は「相撲」に
 恩返しをしなければ
 いけない>からだ、と
◆前人未到の1048勝を
成し遂げた人がテレビに
映っている。
この日(21日)の
勝ち相撲ではなく
前々日(19日)の
負け相撲に触れ、
ポツリとつぶやいた言葉が
耳に残った。
「相撲は奥が深い」。
この母にして、この子あり。
(編集手帳 讀賣新聞7/22)

目の前の記録を
塗り替えようとする者は
なり振りを構わない。
張り手を使う、いなす、
はたき込む、など
勝つことだけにこだわる。
勝ち名乗りを受けた後の
辺りを睥睨する態度が
それを物語っている。

横から攻めるのではなく、
四つに組んで
寄り切るのが横綱相撲だと
思う。
体が小さいわけではない。
「押さば押せ、引かば押せ」
である。
白鵬の強い時期はあったが
今では横綱相撲の完成を
目指してはいないようだ。
「相撲の奥が深い」の
ではなく、
下位力士に合わせた
相撲を取っているから
隙ができるのだ。
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2017年07月22日

思い出につながる名曲を遺して小川寛興さん逝く

'17年7月22日(土)
[連続テレビ小説] ブログ村キーワード

読売新聞コラム
 編集手帳から


小学校の教室で見た
テレビの思い出がある。
ある日のこと、
担任の先生が言った。
「このドラマは
 とても勉強になるの。
 毎日、教室で見ることに
 しましょうね」。
NHKの連続テレビ小説
『おはなはん』(1966年)
である
◆朝の放送時間には
主婦が水仕事をやめて
テレビに見入り、水道局の
水量メーターが一気に
下がった、という
高視聴率の伝説が残って
いる。
小欄たちが教室で見たのは
午後の再放送である
◆♪ 春なつ秋ふゆ/
 落葉と花とを越えて・・・。
倍賞千恵子さんの歌った
主題歌(作詞・横井弘)を
ご記憶の読者もおられよう
◆作曲家小川寛興さんが
92歳で亡くなった。
『月光仮面は誰でしょう』
『さよならは
 ダンスの後に』
『紅色の湖』。
その歌が流れたとき、
どこにいて、何をしていたか。
メロディーを聞けば
人生という日記帳の、
過去のページがたちまち
ひらく。昭和世代には
栞のような人である
◆「何の勉強になるの?
 理科? 社会?」。
退屈して、しつこく
聞く子もいた。
朝早く家を出る先生は、
午後の再放送を何としても
見たかったのだろう。
私たち、ヤボな質問を
しましたね、S先生。
(編集手帳 讀賣新聞7/21)

『おはなはん』を超える
NHKの朝ドラは、今後も
ないような気がする。
共働きの世代が増えている
ので、当時のような
朝の高視聴率は期待できない
だろう。
主人公を演じた樫山文枝の
顔はいつでも思い出せる。

参考
YouTube-おはなはん〜倍賞千恵子 
posted by (雑)学者 at 00:00| 千葉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする